沖縄から愛をこめて…

家族


私の叔母(父の妹)は、アメリカに50年以上住んでいた

その叔母さんの事を私たちは、ケイコさんと呼んでいる

ケイコさんは、戦後まだアメリカの統治下にあった沖縄で、当時かなりハードルが高かったであろう

国際結婚をしてアメリカへ渡った


当時の沖縄はとても社会状況が複雑だった

第二次世界大戦を終えたものの、沖縄は日本で唯一の地上戦があった地

しかも、やっと終戦を迎えても、アメリカ国が統治するという

いわば「植民地」的な扱い

母国だと思った日本から見捨てられて、昨日まで敵だったアメリカ人の下で管理されるという

なんとも屈辱的な状況…


そんな中で、ケイコさんはアメリカ人と恋に落ちてしまった

結婚したいと打ち明けたが、家族皆で大反対

だって、ついこの間まで敵国だった人と結婚するなんて…

でも、ケイコさんは結婚した

そして、米国軍人である夫の転勤に伴い、アメリカの各地へついていった

そして、生活も落ち着いたある日

ケイコさんの母(私から見て祖母)が、脳溢血で倒れて余命が長くないと電話が入った

子供たちはすでにそれぞれ大学進学に伴って、家を離れていた

旦那さんへ「最後の親孝行をさせてください」と頼み、いざ沖縄へ!


久々に見る母は、体に麻痺が残り寝たきりになっていた

親族が反対する中、国際結婚をしてアメリカへ渡った

そのこと自体は、全然後悔はない

しかし、母を心配させて苦労をかけてしまった後ろめたさはある…


その日から、ケイコさんの介護生活が始まった

寝たきりの母の生活環境を整えるために、奮闘した

ケイコさんの看病が功を奏して、祖母はみるみる元気になった

献身的な介護が続いた

そして、気が付けば3年の月日が経っていた

脳溢血で倒れた当時は、明日をも知れぬ命だった祖母は

その後、3年間生き永らえたのだ

ケイコさんの功績であることは明らかである

祖母は、100歳の誕生日を間近にして天国へ旅立った

ケイコさんに看取られて、長年住み慣れた自宅で

現在、ケイコさんはどうしていると思いますか?



沖縄に帰ってきていて、私の近所に住んでます

今なら全然珍しくないけれど、昔は大変だった国際結婚をしてアメリカへ渡り

子どもたちを一人前に育て上げ、

その間も実母の命の危機の時には駆けつけて、献身的な介護をして

天国へ見送り、再度アメリカへ戻った

そんなケイコさんは、旦那さんの死去の後70代半ばに帰国を決意して、私の父をたよりにして沖縄へ戻ったのだ

そして、相変わらずアグレッシブな性格で、この小さい島を闊歩している

ケイコさんは、毎日のようにアメリカに住んでいる息子達とテレビ電話で話すのを楽しみにしている

息子達は、沖縄に住む大好きな母のために仕送りもしてくれるらしい

80歳になったケイコさんは、相変わらず元気で楽しい人

沖縄から遠いアメリカに、愛をこめて

息子達や、まだアメリカに住む昔からの友達との交流をエンジョイしている


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